万葉歌碑めぐり

福岡県筑紫野市は、古くから大宰府の官人や歌人たちが往来し、その豊かな自然や人々の営みが『万葉集』に数多く詠み込まれた「筑紫歌壇」の重要な舞台です。
ここには、亡き妻を想い「次田(すいた)の湯(現在の二日市温泉)」で涙した大伴旅人の歌をはじめ、古代の人々の情熱や風景を今に伝える万葉歌碑が点在しています。
しかし、これらの貴重な文化遺産は、これまでその真の魅力が十分に発信しきれていませんでした。 そこで本プロジェクトでは、1300年の歴史を持つ「万葉の心」を現代の視点で再定義します。
万葉歌碑を起点に、地域の食、温泉、そして歴史が溶け合う「筑紫野ならではの滞在」を、ぜひ体感してください。

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大伴旅人

「地名『紫』のルーツ。心に染まりゆく、高貴な恋の色彩」

湯の原(現在の二日市温泉)で鳴いている鶴は、私と同じように、亡くなった妻を恋しく思っているのだろうか。時も選ばず、ずっと鳴き続けていることよ。

この歌を詠んだ大伴旅人は、神亀年間に大宰府の長官(帥)として筑紫の地に赴任しました 。しかし、着任して間もなく最愛の妻・大伴郎女を亡くすという深い悲しみに見舞われます。
当時、万葉集にも「次田(すいた)の湯」として詠まれた二日市温泉は、官人たちが心身を癒やす場所でした。旅人がこの地を訪れた際、温泉地に響き渡る鶴の鳴き声が、まるで亡き妻を慕って泣き続ける自分自身の心の叫びのように聞こえたのです。


大伴四綱

「古代の宴に思いを馳せる、清らかな月夜のプロムナード」

月夜は素晴らしく、川の音も清らかに響いている。さあ、ここで行く人も行かない人も、みんな一緒に心ゆくまで宴(あそび)を楽しもうではないか。

大伴四綱(おおとものよつな)は大宰府の役人(大監)であり、大伴旅人らと共に「筑紫歌壇」を彩った主要な歌人の一人です。
この歌は、役人たちが公務の合間に、自然豊かな水辺で月を愛でながら宴を開いた際に詠まれました。当時の官人たちが、筑紫野の美しい夜景に心を開き、身分や立場を超えて風流を楽しんでいた様子が目に浮かぶような、明るく開放的な歌です。


大典麻田連陽春

「地名『紫』のルーツ。心に染まりゆく、高貴な恋の色彩」

唐の人(渡来人)が衣を染めるという、あの高貴で鮮やかな「紫」のように、私の心に深く染み入って、あなたのことが想われてならない。

作者の大典麻田連陽春(だいてん あさだのむらじ やすはる)は、大宰府の役人(大典)でした 。 この歌は、筑紫野の地名「紫」のルーツを物語るものとして大切にされています。当時、この周辺には染料となる「ムラサキ」が自生しており、その美しい発色は大陸(唐)の技術を思わせるほど見事なものでした。 単に色を愛でるだけでなく、自分の恋心を「染み入る色」に例えた、官能的で洗練された万葉の恋歌です。


作者不詳

「永遠に伝えたい故郷の原風景。秋の花々が彩る『蘆城野』の輝き」

女郎花(おみなえし)と秋の萩が咲き乱れるこの蘆城野の風景を、今日という日を始まりとして、これから先、幾代までも末永く眺めていたいものだ。

「蘆城野(あしきの)」とは、現在の筑紫野市阿志岐から吉木にかけて広がっていた野原の古称です 。この歌は、秋の草花が美しく彩る広大な野の景色に感動し、その永遠の繁栄と美しさを願って詠まれました。
作者は不明ですが、この地を訪れた貴人や官人が、あまりの景色の素晴らしさに思わず筆をとった情景が目に浮かびます。「今日を始めて」という言葉からは、新しい発見への喜びと、この土地への深い愛着が感じられます。


大伴旅人

「初夏の香りにのせて。孤独な心をほととぎすに託した、旅人の追憶」

橘の花が香り、散っていくこの里で鳴くほととぎすよ。お前は(私と同じように)亡き人を一途に恋い慕って鳴いている、そんな日があまりにも多いことよ。

作者の大伴旅人は、大宰府の長官として赴任直後に最愛の妻を失いました 。この歌は、初夏の象徴である「橘の花」と、初夏の訪れを告げる鳥「ほととぎす」に寄せ、癒えることのない妻への孤独な「片恋(一方的な想い)」を詠んだものです 。
1300年前の筑紫野の初夏の風景の中に、旅人の切ない溜息が溶け込んでいるかのような、叙情あふれる名歌です。


葛井大成

「友との別れ、残された山道。深緑のなかに刻まれた厚き友情」

これからは、あの城山(基山)へと続く道も寂しくなってしまうことだろう。私自身も、もっと(あなたのもとへ)通おうと思っていたのに。

作者の葛井大成(ふじいの おおなり)は、大宰府の役人でした。この歌は、親しかった友人である大伴旅人が大宰府での任を終え、都(平城京)へ帰る際に贈られた別れの歌(惜別の歌)です。
「城山」とは、現在の筑紫野市と佐賀県基山町にまたがる「基山(きざん)」を指します。旅人がいた大宰府と、四王寺山や基山といった防衛の拠点(城)を結ぶ道は、官人たちが頻繁に行き来した場所でした。友がいなくなる寂しさを、通い慣れた道の風景に託して詠んだ、友情に満ちた作品です。


伴氏百代

「雪か花か。静寂のダム湖畔で、春を待つ万葉の調べに浸る」

梅の花が散っているのは、一体どこなのだろうか。そうは言っても、やはりこの城山(基山)には、しきりに雪が降り続いていることだよ。

作者の伴氏百代(とものうじの ももよ)は大宰府の役人でした。
この歌は、大伴旅人の邸宅で開かれた有名な「梅花の宴」に関連して、あるいはその前後の時期に、当時の防衛拠点であった「城山(基山)」に登った際に詠まれたものと考えられています。
眼下に広がる梅の花かと思えば、実は山に降る雪であった…という、視覚的な錯覚を用いた繊細な表現が特徴です。厳しい寒さの中にも、春の訪れを予感させる梅への愛着が感じられる一首です。


作者不詳

「一万年の後まで忘れない。清流に誓った、永遠の情景」

(腕輪のように美しい)蘆城の川を今日こうして眺めたからには、遠い未来、一万年の後までも決して忘れることなどあるだろうか。いいえ、決して忘れはしない。

「珠匣(たまくしろ)」は「蘆(あし)」にかかる枕詞であり、腕輪のように美しい景観を象徴しています。
この歌は、当時の官人たちが「蘆城野(あしきの)」を流れる川の清らかさに心を打たれ、その感動を永遠に刻みつけようとして詠まれたものです 。作者は不明ですが、この地を離れる際や、大切な節目にこの景色を仰ぎ見た人物の、並々ならぬ決意と情愛が伝わってきます。


石上堅魚

「初夏の音と光のアンサンブル。湖畔に響くほととぎすの調べ」

ほととぎすがやって来て、あたり一面に声を響かせている。そのほととぎすに、「(白く美しい)卯の花と一緒に来たのですか?」と問いかけてみたいものだ。

作者の石上堅魚(いそのかみの かたうお)は、大伴旅人が帥(そち)を務めていた当時の大宰府の役人でした。
「卯の花(ウツギ)」と「ほととぎす」は、万葉集において初夏の訪れを象徴する最高の組み合わせとされています。卯の花の白さと、ほととぎすの鳴き声が共鳴する情景を、擬人化のような優しい視点で捉えた、非常に風流で知的な作品です。当時の官人たちが、筑紫野の豊かな四季の移ろいをいかに繊細に楽しんでいたかが伝わってきます。


沙弥満誓

「見た目にも暖かな故郷のぬくもり。筑紫の恵みを愛でる、穏やかな一詠」

筑紫の特産である綿は、まだ実際に身につけて着てみたわけではないけれど、(そのふわふわとした白さを見ているだけで)いかにも暖かそうに見えることよ。

作者の沙弥満誓(さみ まんせい)は、もとは高官(笠麻呂)でしたが、出家して大宰府の観世音寺の造営に携わった人物です 。大伴旅人らと共に「筑紫歌壇」を形成した主要メンバーの一人でもあります。
この歌は、当時、筑紫の地で盛んに生産されていた「綿」を題材にしています 。実際に着る前の「見た目の暖かさ」に注目した描写からは、満誓の穏やかで繊細な感性と、赴任地である筑紫の豊かさに対する温かな眼差しが感じられます。


菅原道真

「地名『紫』に込められた、天神様の孤独と無念の調べ」

ここ筑紫の地にも、紫草が美しく生い茂る野辺はあるけれども、無実の罪を着せられた私の悲しみを理解し、共に悲しんでくれる人は誰もいないのだ。

平安時代、学問の神様として知られる菅原道真公が、無実の罪で太宰府へ左遷された際に詠まれた歌です。
道真公がこの地(現在の紫地区周辺)を通りかかった際、一面に広がる美しい紫草の野原を目にしました。しかし、その美しい風景とは対照的に、自身の孤独と無念さが際立ち、「紫(地名・色)」と「亡き名(無実の罪)」をかけて、自らの寂しさを表現しています。
この歌がきっかけとなり、この地は「紫」と呼ばれるようになったと伝えられています。


菅原道真

「涙は幾千の筋となりて。天神様が仰ぎ見た、筑紫の空と無念の詩」

家(都)を離れてから三、四ヶ月が過ぎ、流した涙は千もの筋となった。身に降りかかるすべての出来事はまるで夢のようであり、折にふれては(無念さに耐えかねて)あの大空を仰ぎ見るばかりだ。

この詩は、菅原道真公が太宰府に到着して間もない時期の心境を詠んだ漢詩の一節です。
道真公は、自らの無実を訴えるために何度も天拝山に登り、天を仰いで祈りを捧げたと伝えられています(天拝山の名の由来)。「万事皆夢の如し」という言葉からは、華やかな都での生活から一転し、見知らぬ筑紫の地で厳しい境遇に置かれた、やりきれない孤独と絶望が痛いほどに伝わってきます。


三条実美

「涙は幾千の筋となりて。天神様が仰ぎ見た、筑紫の空と無念の詩」

家(都)を離れてから三、四ヶ月が過ぎ、流した涙は千もの筋となった。身に降りかかるすべての出来事はまるで夢のようであり、折にふれては(無念さに耐えかねて)あの大空を仰ぎ見るばかりだ。

この詩は、菅原道真公が太宰府に到着して間もない時期の心境を詠んだ漢詩の一節です。
道真公は、自らの無実を訴えるために何度も天拝山に登り、天を仰いで祈りを捧げたと伝えられています(天拝山の名の由来)。「万事皆夢の如し」という言葉からは、華やかな都での生活から一転し、見知らぬ筑紫の地で厳しい境遇に置かれた、やりきれない孤独と絶望が痛いほどに伝わってきます。


東久世通禧

「都の雅を藤に託して。時を超えて袖を染める、歴史の紫」

波のように美しく咲き誇る藤の花に親しみながら、かつての都の風流人(みやびと)がそうしたように、私もまた、その懐かしい高貴な紫色に袖を染めていることよ。

作者の東久世通禧は、幕末の「七卿落ち」で三条実美らと共に太宰府で過ごした公卿です 。
武蔵寺は、1300年前から「藤の名所」として名高く、菅原道真公もしばしば訪れたと伝わる由緒ある寺院です。通禧は、都を離れた孤独な日々の中で、武蔵寺の藤の花に都の華やかな「雅(みやび)」を重ね合わせました。紫色の藤を、高貴な身分を象徴する衣の色に見立てたこの歌からは、逆境にあっても失われない公卿としての品格と、歴史あるこの地への敬意が感じられます。


東久世通禧

「都の雅を藤に託して。時を超えて袖を染める、歴史の紫」

霜に枯れた尾花(ススキ)が、まるでおいでおいでと袖を招いているかのように見えて、誘われるままに訪ねてきたこの宿のことは、いつまでも忘れることができません。

この歌は、三条実美らと共に太宰府で過ごしていた東久世通禧が、二日市温泉の宿を訪れた際の心境を詠んだものです。 「尾花(ススキ)」が招くという表現は、古来より和歌でよく用いられる「袖振る(招く)」イメージを重ねた風雅なものです。 霜が降りるほど寒い季節、枯れゆく自然の情景の中に温かなもてなしを見出し、それを「忘れられない宿」として心に刻んだ、通禧の優しく繊細な感性が伝わってきます。


三条西季知

「湯浴みで心まで清らかに。名湯への賛美」

今日ここで湯浴みをすれば、心の中の垢まで少しも残らず、すっかり綺麗になってしまったことだ。

三条西季知は幕末の公卿で、動乱の中で二日市温泉を訪れました。この歌は、温泉の温もりが身体だけでなく、不安な心までも洗い流してくれた喜びを素直に表現しています。歌碑は「東峰マンション二日市Ⅱ前」に設置されています。


三条西季知

「草木に託す、再会への願いと変わらぬ情」

人ではないこの地の草木に対しても、「どうか私のことを忘れないでおくれ」と言いたい。後になって、「あなたのことなど忘れてしまった」などと言われたくないからね。

三条西季知が太宰府滞在中に、筑紫野の豊かな自然を慈しんで詠んだ一首です。言葉を交わせない草木に対しても愛情を注ぎ、この地での思い出が風化しないことを願う繊細な心が表れています。歌碑は武蔵公民館先の三叉路に設置されています。


壬生基修

「夕暮れに浮かぶ白。雪と見まがう卯の花の幻想」

夕暮れ時に白く見えるのは雪だろうか。いや、そうではなく、月の住処の垣根に咲いている卯の花であるよ。

壬生基修も幕末の公卿として筑紫の地に滞在しました。この歌は初夏の夕暮れ時、垣根に咲き誇る真っ白な卯の花を雪に例えた、幻想的で美しい色彩感覚あふれる作品です。歌碑は武蔵寺下の帆足商店前に設置されています。


四条隆謌

「天命を楽しみ、秋の彩りに心を預ける」

青い山と白い水に紅葉が美しく映えている。天から与えられた運命を楽しみ、もはや何の疑いもない。

幕末の四条隆謌による漢詩の一節です。天拝山の豊かな自然、特に秋の紅葉が湖面に映る美しさを称え、自身の置かれた境遇を運命として受け入れ、達観した心境を詠み上げています。碑は天拝公園の池上池畔に設置されています。


松尾光淑

「天神様への追慕。仰ぎ見る天拝山の尊さ」

この山(天拝山)に登ったあなた(菅原道真公)の昔を想えば悲しく、その姿を思い描きながら山を見上げれば、ただただ尊いものである。

菅原道真公が天に無実を訴えるために登ったという天拝山の伝説に基づき、道真公への深い敬愛を詠んだ歌です。登山道の入り口に立つこの歌碑は、今も多くの参拝客や登山客に、この山の持つ歴史的な意味を伝えています。碑は天拝山登山口の鳥居横に設置されています。


立花秋水

「日常の幸福。温泉街に響く下駄の音と雲雀の声」

眠りが覚めて夢が途切れても惜しくはない。温泉へ通う下駄の響きと、空高くで鳴く雲雀(ひばり)の声が清々しく聞こえてくるからだ。

立花秋水による近代の句です。温泉地ならではの「下駄の音」と、春の訪れを告げる「雲雀の声」を対比させ、朝の清涼感あふれる温泉街の情景を鮮やかに切り取っています。夢を見るよりも素晴らしい現実の喜びが伝わります。碑はアラスカ入口付近に設置されています。


原采蘋

「女流漢詩人が綴る、旅先での温かな交流」

江戸時代の女流漢詩人・原采蘋(はら さいひん)が、山家宿に滞在した際に魚を贈られたことへの感謝を詠んだ漢詩です。

原采蘋は男装の詩人として知られ、全国を旅しました。宿場町であった山家(やまえ)での人情あふれるエピソードを今に伝えています。碑は山家宿西溝口跡に設置されています。


高濱虚子

「季節の変わり目。筑紫の宿で感じる旅情」

季節が移り変わり、衣替えをして心も新たに筑紫の旅の宿で過ごしていることよ。

俳句界の巨星、高濱虚子による一句です。二日市温泉を訪れ、その旅情を「更衣(ころもがえ)」という季語に託して詠みました。碑は玉泉館前庭に設置されています。


高濱年尾 / 稲畑汀子

「親子三代、受け継がれる名湯の秋」

高濱虚子の息子・年尾による「照紅葉」の句と、その娘・稲畑汀子による「梅の宿」の句が刻まれています。温泉宿の美しい朝の情景を詠んでいます。

虚子から続く俳句一家の絆を感じさせる碑です。秋の紅葉が朝日に映える様を鮮やかに捉えています。碑は玉泉館中庭に設置されています。


夏目漱石

「文豪・漱石が描く、賑わいの湯の町」

ここは温泉の町。人々が踊っているかのように楽しげに集い、賑やかな声が響きわたっている。

文豪・夏目漱石が明治29年(1896年)に二日市温泉を訪れた際に詠んだ一句です。温泉地の活気あふれる様子を表現しています。碑は御前湯正面玄関前に設置されています。


安西均

「現代詩人が仰ぎ見る、天拝山の千年松」

筑紫野市出身の現代詩人・安西均が、天拝山の山頂にある千年の松と、空へ飛び立とうとする巨大な鳥のような姿を描写した詩です。

郷土の詩人による力強い言葉が刻まれています。天拝山の自然への畏敬の念が込められた作品です。碑は市民図書館前庭に設置されています。


田口白汀

「武蔵寺の古椿に寄せる、生命の輝き」

武蔵寺にある歴史深い椿の木を見上げ、その力強く美しい姿を称えた歌です。

武蔵寺の長い歴史を見守ってきた椿の木に対する畏敬の念が表れています。碑は武蔵寺境内に設置されています。


野口雨情

「童謡詩人が歌う、名所づくしの郷土情緒」

天拝山や太宰府天満宮といった地域の観光名所を織り交ぜた、リズム感あふれる民謡風の作品です。

童謡詩人・野口雨情がこの地を訪れた際に作詞したもの。筑紫野の玄関口で、旅人を迎える歌として親しまれています。碑はJR二日市駅前広場内に設置されています。


福田正夫

「湯の町の賑わいを伝える、軽快な音頭」

二日市温泉(むさし温泉)の楽しさ、湯町の情緒を歌った音頭の一節です。

地元の賑わいと親しみを込めて制作された音頭です。かつての湯町の明るい情景を想い起こさせます。碑は天拝公園(池上池下)に設置されています。


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